東京高等裁判所 昭和63年(行ケ)296号 判決
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
1 成立に争いのない甲第二ないし第五号証によれば、本願第一発明は、式
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を有するP―オキシマンデル酸のアルカリ金属塩に関するものであり、このP―オキシマンデル酸の製造のために多くの方法が記述されている(英国特許第一三七七二四三号明細書記載の方法もその一つである。)(本願明細書第三頁第八行ないし第四頁第一一行)が、「これら多くの製法において水酸化ナトリウムが試薬として使用され、従つて、P―オキシマンデル酸ナトリウムが溶液中に存在するが、固体形でこの塩の製造を記述したものはない。」(同第四頁第一一行ないし第一五行)ところ、本願第一発明は、フエノールとグリオキシル酸との反応からP―オキシマンデル酸アルカリ金属の固体形が良収率でまた純粋な形で製造できることを見いだし、β―交感神経抑制剤アテノロールの製造用に有用なP―オキシフエニルアセトアミドを製造するための価値の高い中間生成物として用いられる固体P―オキシマンデル酸ナトリウム又は―カリウム一水和物を提供するものである(同第四頁第一六行ないし第五頁第六行)ことが認められる。
2 引用例に、P―オキシマンデル酸が記載されていることは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第六号証によれば、引用例には、4―HOC6H4CH(NH2)CO2Hは、4―HOC6H4―COCO2HをNaBH4で還元し、
4―HOC6H4CH(OH)CO2Hを塩素化し、
4―HOC6H4CHClCOClを加水分解し、4―HOC6H4CH―ClCO2Hをアミノ化することによつて製造された旨記載されていることが認められ、右記載事項によれば、
4―HOC6H4CH(OH)CO2H、すなわち、P―オキシマンデル酸は、4―HOC6H4CH(NH2)CO2Hを製造する際の中間生成物として公知の物質であることが認められる。
また、成立に争いのない甲第八号証(マーサ ウインドホルツ他一名編「メルク インデツクス」化学品、薬剤百科辞典第九版メルク アンド カンパニー インコーポレーテツド一九七六年発行)によれば、「六一一 アモキシリン」((一)x16―〔2―アミノ―2―(P―ヒドロキシフエニル)アセトアミド〕―3、3―ジメチル―7―オキソ―4―チア―1―アザビシクロ―〔3・2・0〕ヘブタン―2―カルボン酸)の項に式
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が示され、「八八〇 アテノロール(2―〔P―〔2―ヒドロキシ―3イソプロピルアミノ)プロポキシ〕フエニル〕アセタミド)の項に、式
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が示されていることが認められるから、P―オキシマンデル酸化合物(前記式中の
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は、前記アテノロールあるいはアモキシリンの医薬を製造するための中間生成物であるP―オキシフエニルアセトアミドあるいはP―オキシフエニルグリシンを製造する際の原料となり得るものであることが明らかである。
したがつて、引用例記載の4―HOC6H4CH(NH2)CO2Hは、P―オキシフエニルグリシンにほかならないから、引用例には、P―オキシマンデル酸は、医薬であるアモキシリン製造用のP―オキシフエニルグリシンを製造するための中間生成物であることが教示されているということができる。
3 前記1及び2の認定事実に基づいて本願第一発明と引用例記載のものとを対比すると、両者は、医薬を製造するための原料となり得るP―オキシマンデル酸化合物である点で差異はなく、審決認定のとおり、本願第一発明がP―オキシマンデル酸アルカリ金属塩一水和物であり、有機不純物を含まない固体の純粋なものであると特定しているのに対し、引用例記載のものはP―オキシマンデル酸と遊離の酸である点で相違している。
原告は、審決の右相違点についての判断は誤りである旨主張するので、この点について検討する。
公知の化合物であるP―オキシマンデル酸の塩は、酸の有する属性、すなわち、塩基を中和して塩を生ずるという化学的性質により、化学常識上容易に想到できる化合物であることは原告の認めて争わないところであり、また、本願明細書には、P―オキシマンデル酸の塩に相当するナトリウム塩が溶液の状態ではあるが本件出願前公知である旨記載されていること、本願第一発明は、この溶液中に存在するP―オキシマンデル酸アルカリ金属塩を溶液中から固体形として製造した化合物自体にかかわるものであり、この固体のP―オキシマンデル酸アルカリ金属一水和物を医薬(アテノロール等)の製造に有用なP―オキシフエニルアセトアミドを製造するための中間生成物として用いるものであることは、前述のとおりである。
そして、このような医薬においては、人体に使用するという用途から高純度のものであることが当然に要求される事項であり、医薬の製造に際し、製造に供される原料としても十分に精製されたもの、すなわち、純度の高いものであることが必要であることは、当業者にとつて当然のことということができる。
そうであれば、本願明細書に先行技術として開示されているP―オキシマンデル酸のナトリウム塩を医薬製造のための原料として用いる場合、その混合されている溶液を医薬の製造の原料としてそのまま用いることができないことは自明であり、そのために、この目的物質のみを取り出そうとすることは容易に想到し得ることである。
ところで、前掲甲第二及び第四号証によれば、本願明細書には、固体のP―オキシマンデル酸のアルカリ金属塩は、該アルカリ金属塩の含まれている溶液を鉱酸のナトリウム塩又はカリウム塩で塩析することによつて得る旨(本願明細書第五頁第八行ないし第一六行、昭和六一年一〇月八日付け手続補正書第二枚目第八行、第九行)記載されていることが認められる。
成立に争いのない乙第一号証(「化学大辞典1」共立出版株式会社昭和三八年七月一日発行)によれば、「えんせき 塩析」の項に、「水溶液に他の物質(主として無機塩類)を加えて、さきに溶けていた物質を析出させることをいう。(中略)一回の塩析だけでは精製が不十分なので、これを再び水、薄い食塩水、水酸化ナトリウム水溶液などに加熱して溶かし、そのまま数日間放置してセツケンを上層に浮上分離させて純度を高める。」(第一一〇八頁左欄第三四行ないし右欄第一九行)と記載されていることが認められるから、一般に、塩析は、溶液から目的物質を固体として取り出すために用いられる手段であり、また、精製して純度を高めるために用いられる手段の一つであつて、本件出願当時慣用の手段であるということができる。
したがつて、本願第一発明の有機不純物を含まない固体の純粋なP―オキシマンデル酸のアルカリ金属塩は、溶液の形では公知のP―オキシマンデル酸のアルカリ金属塩の溶液に、固体として析出せしめるための塩析という慣用の手段を適用し、製造したにすぎないといえるものである。
次に、このようにして得られた本願第一発明のP―オキシマンデル酸のアルカリ金属塩は、一水和物、すなわち一分子の水が付加された状態のものである点について検討すると、成立に争いのない乙第二号証(「化学大辞典3」共立出版株式会社昭和四一年一〇月二〇日発行)によれば、「けつしようすい 結晶水」の項に、「結晶中に一定の化合比で含まれている水をいう。(中略)H2O分子の形で結晶水を含む化合物(特に塩類)を水化物、含水塩とよぶ。」(第三五四頁第二七行ないし末行)と記載されていることが認められ、成立に争いのない乙第三号証(「第九改正日本薬局方解説書」株式会社廣川書店昭和五一年七月二〇日第一版発行、昭和五四年一一月一五日第五刷発行)によれば、「アクリノール」の項に、式
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が示され、また、「安息香酸ナトリウム」の項に、「得られた結晶は結晶水を一分子含む」と記載され、右記載は、結晶として取得した際、酸あるいは酸のナトリウム塩が結晶水の結合した状態で得られることを教示するものであることが認められ、右認定事実によれば、結晶をなしている固体が結晶水を含むことのあることは、本件出願当時当業者にとつて周知であつたというべきである。しかも、前掲甲第二ないし第五号証によれば、本願明細書には、P―オキシマンデル酸のアルカリ金属塩を一水和物としたことにより、この化合物が格別の作用効果を奏するものであることについては何らの記載も存しないことが認められる。
そうであれば、本願第一発明において、P―オキシマンデル酸のアルカリ金属塩を一水和物としたことは、溶液から溶質を結晶として取り出した場合に往々にして見られる現象以上のものではなく、固体として得た結果、一水和物であることを確認したにすぎない。
原告は、米国特許第一三七七二四三号明細書の記載を援用して、本件出願当時の公知技術においては、フエノールとグリオキシル酸との粗縮合生成物溶液中にP―オキシマンデル酸のナトリウム塩とともに存在する不純物を除去して、純粋なP―オキシマンデル酸のナトリウム塩を固体として得る方法を知らなかつたのであり、これに対し、本願発明は、前記粗縮合生成物溶液中に、鉱酸のナトリウム塩又はカリウム塩を加え、P―オキシマンデル酸異性体の塩を一水和物として晶出するという新規な方法により、溶液中のすべての有機不純物を除去し、純粋なパラー異性体を個体の形で取り出すことに成功したものであつて、本願第一発明のP―オキシマンデル酸ナトリウム一水和物は新規物質である旨主張する。
英国特許第一三七七二四三号明細書に開示されたP―オキシマンデル酸ナトリウムの水溶液には、原告主張の不純物が含まれていることは当事者間に争いがないが、前記審決の理由の要点によれば、審決は、本願第一発明のP―オキシマンデル酸アルカリ金属塩一水和物が公知技術であると認定、判断したものではなく、P―オキシマンデル酸のナトリウム塩は溶液の状態では本件出願前公知であると認定し、溶液から目的物質を固体として単離することは化学の分野では日常行われていることであり、その際目的物質が結晶水のような溶媒を結合した状態で得られることもよくみられることであり、かつ一般に酸が固体として単離しにくい場合に、塩基との塩にすることによつて水溶液から容易に結晶として単離、精製することは化学の分野で広く行われていることから、本願第一発明の容易推考性を判断したものであつて、その認定、判断に誤りのないことは、前述したところから明らかである。また、本願発明は、P―オキシマンデル酸アルカリ金属塩一水和物を製造する具体的方法を新規に発明したものであるとしても、本願第一発明は、物質自体に係るものであつて、製造方法を加えて特定しているものでないことは前記本願第一発明の要旨から明らかであるから、右の製造方法は、その物質がどのようにして得られたかその目的達成手段についての裏付けをなす以上のものではない。そして、P―オキシマンデル酸アルカリ金属塩一水和物が固体の状態では知られていなかつたという点で新規物質であるということができるとしても、溶液の状態では既に公知である該化合物をアルカリ金属塩の形で固体とすることは当業者にとつて何ら格別のことでないことは前述のとおりであり、かつ、この物質が一水和物であることで医薬を製造するための中間生成物として格別の効果を奏するものともいえないから、一水和物であることを理由に、P―オキシマンデル酸アルカリ金属塩と別異の物質とは認め難く、新規物質であるという点に格別の技術的意味を見いだすことはできない。したがつて、原告の前記主張は理由がない。
4 以上のとおりであるから、「本願第一発明の化合物は、引用例記載のP―オキシマンデル酸について、しかも、そのアルカリ金属塩についても溶液状態では既に知られている場合に、それを単に溶液中から固体として単離したものにすぎないから、本願第一発明は、引用例記載の技術内容に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものというべき」であるとした審決の認定、判断に誤りはなく、審決に原告主張の違法は存しない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却する。
〔編注〕本願発明の要旨は左のとおりである。
1 有機不純物を含まない固体の純粋なP―オキシマンデル酸ナトリウム又は―カリウム一水和物(以下「本願第一発明」という。)
2 それぞれの水酸化ナトリウム又は水酸化カリウムの存在下でフエノールをグリオキシル酸と反応させ、引き続いて溶液のpH値を五~六に調整し、それぞれ鉱酸のナトリウム塩又はカリウム塩でナトリウム塩又はカリウム塩を塩析することを特徴とする有機不純物を含まない固体の純粋なP―オキシマンデル酸ナトリウム又は―カリウム一水和物の製法(以下「本願第二発明」という。)